姪と一緒に「真の手打蕎麦」

この日は、令和天皇の誕生日。

直前で入った姪のお守りは、受け取りが17時ころだというので、
帰りしなにうちでお蕎麦でも食べていったら夜が楽かな?

(どちらかというと、お休みの日だから、ただお蕎麦が打ちたいだけだったり?
(食べなかったら、わたしが食べればいいだけだし?
(ついでに姪にもお蕎麦を触らせてみようか…?

なんて思いながら、だらだらと準備を始めてみる。

今日も変わらず、いつもの髙山製粉の「玄挽」を二八で。

この二八って、つなぎ:そば粉を2:8で作るから二八なんだと思っていたら、
落語の「時そば」にもでてくるけど、
「二八の十六文(お値段)」からきているんだってね!


またある書に云ふ、二八蕎麦は寛文四年に始まる、云々。すなはち価十六銭を云ふなり。(守貞謾稿『近代風俗志』)

この、二八の十六文のお蕎麦の評価といえば…、
「或書に云ふ、寛文四年、慳貪蕎麦切始めてこれを製す。下賤の食とす。」(守貞謾稿『近代風俗志』)
「一等次なる物には、二八、二六そば処々に有り。」(日新舎友蕎子著の『蕎麦全書』)

「下賤の食」だとか「一等次なる物」として紹介されていることから、
庶民の食べるものの中でも、より安価な食べ物だったんだろうね。

現在と比べると、お鮨や天ぷらほどの価値の高騰はしていないけれど、
それでもいま、お蕎麦って、そこそこ上等よね。
だからっていうわけじゃないけれど、
わたしは、ぐだぐだの駅そばがたまらなく好き♡

蕎麦中の蕎麦、というのか、
蕎麦たる姿、というのか。

この、駅そばやぐだぐだの冷凍そばを、
わたしは「(手打ちではない)駄(菓子のように食べられる)蕎麦」と、
勝手に呼んでいたのだけど、


江戸慶應以来増価、蕎麦・温飩ともに二十四銭となり、霰(ばか貝の貝柱を乗せた蕎麦)以下これに准じて価を増す。
従来二八、後に二十四文の物を商ふを駄蕎麦と云ふ。駄は惣じて粗を云ふの俗語なり。駄にも行燈等には手打ちと記せども、実は手打ちと云ふは、別に精製を商う店あり。(守貞謾稿『近代風俗志』)


あらあら、すでに守貞先生が「駄蕎麦」を紹介してくれていました。
(自分で打たない蕎麦を手打ちと称して)高値で売る蕎麦のことを
そう呼ぶらしい。

それからすると、駅そばや冷凍そばは決して駄蕎麦ではなく、
高級品にのし上げられてうやうやしく出される蕎麦こそが、
駄蕎麦、ってこと…カナ?

「真の手打蕎麦屋には、二八の駄そばはうらず。」

では、守貞さんのおっしゃる「真の手打蕎麦」とやらを、
いっちょ作っていきやしょうか。
 

[わたし]いい?ガオー!の指をして、わしゃしゃしゃー!ってするの。
[姪]こう?
[わたし]そうそう、指の形を変えずに。
[わたし]ほら、さらさらしていたのに、どんどんまぁるくなってきたでしょ?
[姪]おもしろい〜〜!!!つぶつぶー!

そんな会話をしながら、姪とそば打ち。

[わたし]お粉だったものを、こうやってツルツルのお蕎麦にするんだよ。

ちょうど打ち終わったころ、
姉から、明日は平日だから食べずに帰る、という返事がきたものの
「自分がお手伝いをして作ったお蕎麦」を食べたい姪。

[わたし]じゃぁ、おやつに食べようか!
[姪]やったぁ!わぁい、わぁい!
 

数あるお皿の中から、やちむんのお皿と、江戸期の蕎麦猪口を選んで、
お皿まで飲み込む勢いで、しっかり一人前をかっこんでいましたw
 
食べ方は見るに耐えられないものの、
いろんなものが自分の手を動かさなくても手に入る時代に、
「自分で作れる」ことを知って、
「自分で食卓を整えていただく」ことを楽しんで体験してくれることは
純粋に嬉しいな、と思う。

そんなこんな、
ただただ蕎麦を打ちたいおばちゃんは、
姪と一緒に蕎麦を楽しめて大満足なのでした。

 

ごちそうさまでした♡

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