鯉をいただく②|「湯霜造り」と「吉野打ち」

先月実家に帰った際に、お買い上げしつつ見学してきた「鯉捌き」。

今月は、生きた鯉をいただいてきて、
初めて自分で捌いてみることができました♪

対峙の記録はコチラ♡

そのうちの半身を、
「湯霜造り」と「吉野打ち」でいただこうと思います。
 

洗いと湯霜造り

鯉の皮は、鯉の身が美しいせいか?比較的引かれていることが多いですが、
触るとベロアのようにふんわりしているので、
これは湯霜でいただいてみたい…と思い作ってみました。

<湯霜造り>
鱗を取った皮付きの鯉の皮目に、キッチンペーパーを1枚当て、熱湯を流しかけて湯引きます。
身がチリチリっと縮んできたら、氷水に入れて冷やします。

左が、洗い用に皮を引いたもの
右が、皮ごと湯引きしたもの

洗いは、薄ーく削ぎ切りした後、氷水にさらして水気をとります。

湯引きした湯霜も、同じように薄く切ります。
皮目を下にして切ると皮が崩れてしまうので、
上にして切ってみました。

 
ヘタクソなツマと、おろしたての山葵をあしらっていただきます。
(桂むきを練習せねば…

黒い皮目と紅い身のコントラストが、なんとも艶かしい。
素晴らしい!
つい、黒髪の女性が、抜襟姿でほんのり酔う姿を思い浮かべてしまう。

人見先生(本朝食鑑)は、
「その麗しさをたとえて言えば、盛開の桃花が露を含み、昼に炫いているが如くである」
ですって。
たぶん、皮を引いたもののことだとおもうけれど、
わたしの表現があまりに稚拙で恥ずかしい…(。-_-。)

洗いもシャキシャキで美味しいのだけど、
湯霜は、ほんのり火が入ったせいか、
皮目の脂がジワっと溶けて、柔らかく口のなかに甘味が広がります。

この、清流感溢れる、爽やかな香りと甘み、
そして後から押し寄せる旨味パンチ。

たまらない…ッ

 

鯉の吉野打ち

吉野打ちは、あらかじめ食材に葛や片栗粉を打つ下ごしらえのことで、
骨切りしたハモやアイナメなんかでよく使われているよね。

今回は、骨切りした鯉に片栗粉を打ち、
ひんやり冷ました焼き茄子と一緒に、お出汁をかけていただきます。

鯉は、皮が柔らかいけれどしっかりしているので、皮目を下にし、1mm間隔くらいで骨切りします。
火を入れると身が柔らかいので、もっと厚くてもいいかもしれませんが、お好みで。

骨切りした鯉に、ハケを使って片栗粉を打ちます。
ベタベタつけると、せっかく骨切りをしたヒダが片栗粉で潰れてしまうので、綺麗に膜をつくるためにもハケを使うのをオススメします♪

吉野打ちした鯉を湯に放ち、火を入れ、氷水に取ってキュっと冷やします。

焼き茄子は、縦に浅く包丁を入れ、1本丸ごとグリルやオーブンで焼き、指で押して柔らかくなったら取り出し、楊枝などを使って皮を剥いて、冷やしておきます。

 
最後に、薄口で整えた出汁を張り、
酢橘の皮を添えて、できあがりです。

これは…
口に入れた瞬間、フワ〜っとほどけて絶句。
甘い、濃厚、爽やかな脂で口の中が充満するかんじ。
ずっと口に入れていたい…
そう思わせるくらいのひと品。

わたしが作ってこのクオリティってことは、
プロの手にかかったらもっとすごくなるはず。

 
わたしが川魚店に見学に行った翌々日、
長野日報でそのお店がクローズアップされていたのを、
母が見かけてLINEで送ってくれました。

「漁獲・需要減で継承に影響」
「祭のおもてなし料理の定番だったコイの洗い、姿煮、丸揚げなどの大皿料理が、鶏肉のから揚げやエビフライなどが詰まったオードブルの盛り合わせへと変わってきた」

たしかにね、姿煮とか丸揚げとか、見た目がボヨンすぎてわたしもイヤよ。
でも、この味は喩えようがないくらい本当に素晴らしい。

かつては下魚で、夏の脂が落ちたウナギが、
平賀源内のキャッチコピーひとつで今では高級魚に。
いっぽう、魚の長と言われ昔から愛されてきた鯉は衰退の一途を辿る。

育てる人がいなくなって、食べる人もいなくなって、
そのうち、なくなってしまうのだと思うと、
自分で育てても食べたいな、と思う。

 
そんなこんな、
もう半身は昆布締めと、炙りにしようと企みつつ、
また次回。

 

ごちそうさまでした♡

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