【伝聞再現】割子蕎麦

先週、ひょんなことから伝聞再現することになった
山口県のご当地蕎麦「瓦そば」。

その昔、街道を渡ってさまざまな食文化が交流したように
食べたことはなくても、
見聞きしたことを元に「伝聞再現」することはできるな、と
家の前の旧東海道を歩きながら、道に遺された数々の足音に耳を傾けてみる。

そんなこんな、
山口県といえば、お隣は島根県。
島根県といえば、出雲大社があり、
出雲大社といえば、出雲そば、割子そばが思い浮かびます。

実は、この出雲の地、
行ったことはないのですが、
出身地と非常に縁のあるところなんです。

[出雲から信濃へ:神社のつながり]

その昔、出雲の国は、
大国主神(オオクニヌシ)に治められていましたが、
天皇の祖神、天照大神(アマテラス)に国を譲ることになります。
息子の建御名方神(タケミナカタ)は抵抗しましたが、
アマテラス陣に追われ信濃国の諏訪湖で降伏します。

これにより、オオクニヌシは出雲大社に、
タケミナカタは諏訪大社(信濃)に、
まつられました。

出雲大社といえば「大しめ縄」が印象的ですが、
諏訪大社秋宮に同じ規模のしめ縄が奉納されているのは、
この国譲りがあったからなんですね。

しかも、4本の御柱に守られ、4つの社によって成る諏訪大社、
タケミナカタは、とても強い神様だったことが窺えます。
(とても強い結界にも見える??

ちなみに、出雲へと全国の神様が召集される10月(神無月)は、
出雲とならび諏訪も「神有月」なんだとか。

そしてこのときの戦い、相撲の起源にもなっているそうで、
信濃国出身の史上最強の力士と謳われる雷電為右衛門も
出雲の不昧公(松平治郷)のお抱え力士になるなど、
出雲との関係が深かったようです。

[信濃から出雲へ:蕎麦のつながり]

さて、時を隔てて時代は江戸時代前期へ。

松江藩(出雲)初代藩主で、家康と秀吉の孫にあたる、松平直政。
江戸幕府と豊臣家との間でおこなわれた合戦「大阪の陣」に初出陣し、
多くの真田兵(信濃)を討ち取り功績を挙げます。

その後、越前大野藩主(1624)をへて、信濃松本藩主(1633)を務め、
出雲初代藩主(1638)として出雲の地へと赴くことになるのですが、
その際、信濃から蕎麦職人を連れて行ったことが、
出雲の地に蕎麦食を定着させるきっかけになった、のだそうです。

1624に越前→ 1601 本田冨昌によって既に切り蕎麦アリ
1633信州→ 1574 切り蕎麦最古の記録、木曽定勝寺の落成祝い
1638出雲→ 直政が持ち込む

こうみると、彼は蕎麦の地を転々と…!

[出雲そば]

さて、その出雲に定着した蕎麦。
いまでは、日本三代蕎麦のひとつにも数えられており、

・丸い三段重ねの漆器に盛られた、冷たい「割子そば」
・茹で汁ごと器に盛って蕎麦汁を入れる、温かい「釜揚げそば」
(→「湯だめ」は、蕎麦汁に付けて食べる

この2つの食べ方があるようです。

出雲への蕎麦の定着は、
先のとおり、松平直政が持ち込んだもののようですが、
特にその蕎麦の価値をあげたのは、
1767年7代目藩主の松平治郷、
茶人として名を馳せた不昧公(ふまいこう)だったようです。

当時は、庶民と武家とでは住む地域はもちろん、
食べられるものもしっかりと分かれていたそうで、
蕎麦は、庶民の食べ物でした。

ところが、どこで知ったんでしょう。
不昧公は、夜鷹蕎麦を食べに行くほどの蕎麦好きだったそうで、
茶人だった彼は、蕎麦をお茶の世界に取り入れ
56歳(1806)で隠居し、68歳で亡くなるまで
品川大崎の茶会で「蕎麦懐石」を催していたそうです。

本当に蕎麦が好きだったとは思うのですが、
足りない知識ながらお茶の世界を想像すると、
雅な世界にいる彼が、茶の席に庶民の蕎麦を取り込んだ理由も
わかるような気がします。

話がだいぶ飛びましたが、
「割子蕎麦」は、お弁当として持ち歩かれたもので、
「釜揚げ蕎麦」は、水で〆ることが難しい屋台での提供方法だったようです。

今回はこの、お弁当として持ち歩かれたという
「割子蕎麦」の伝聞再現をしてみました。

花見に行って、徐にお蕎麦のお弁当を出したら、
「乙だな!」と思いませんか?

[割子蕎麦]

「割子(わりご)」とは、出雲地方でお重箱のことだそうで、
いまでは、三段に重ねた丸型の漆器が用いられていますが、
もともとはスギの春慶かヒノキの角型だったそうです。
それが、明治40年(1907)、食品衛生の面から、
洗いやすい現在の丸型へ。
(食べやすさもある気がしますw

今回は、割子蕎麦が始まった江戸時代に思いを馳せながら遊びたいので、
少し小ぶりの4.5寸角形のお重箱を用いました。

さて、いざ作ろうとおもうと、いろいろ疑問が湧きます。

①割子になったのはいつから?

これが、調べても出てこないのです。
出てこないということは、
とりわけ、どこかが「割子蕎麦はじめました!」としたわけではなく
誰が始めたともなく、いつのまにか広まったのかな?なんて思います。
が、

〜〜 妄想 〜〜

信州蕎麦が原型なのだとすると、
始めのころは、麺汁に付けて食していたと思うのです。

江戸時代は、庶民が藩外へ出るなんてことはまずできず、
旅ができるとすれば、お詣りくらい。

江戸後期の1804〜1830年ころになって、
伊勢参宮を中心に庶民の旅が盛んになったそうですが、
出雲といえば出雲大社、ですよね。

「釜揚げそば」は、
神社の周りにできた屋台から始まり、
水のない屋台では締められないことから普及したようですが、
いっぽうで、
参宮が盛んになったことで遠方からの参拝者が増え
近くの旅籠に泊まり、お弁当を包んでもらい、大社を参拝して弁当箱を返す
なんてこともあったんじゃないかと思うのです。

不昧公が隠居したのは1806年なので、
この頃には、出雲蕎麦は十分に定着し、蕎麦文化も成熟していたと思うと、
ご飯を弁当に詰めるように、蕎麦も自然と弁当に詰められ、
それが、参拝者にふるまわれ、
「出雲ならではの方法」として定着したのかな?
とか、

もしかしたら、茶人であった不昧公が、
野点(のだて)をする際に、蕎麦を持って行ったのかな?とか。

ある日は、満開の桜の木の下で、
ある日は、赤く染まる紅葉の下で、
蕎麦をすすっては、一句詠んでいたかも?しれません。

②十割?それとも二八?

お蕎麦が好きといいながら、お粉の種類をよく知らないのですが(笑

一般的にそば粉は、一番粉、二番粉、三番粉、挽きぐるみの4種類。
石臼でソバの実を挽くと、挽き始めと最後でお粉の質が変わるので、
最初(一番目)、真ん中(二番目)、最後(三番目)と、
取り分けたものが一番〜三番粉のことで、
挽きぐるみは、そういった選別をしない、挽きっぱのお粉。

で、挽きぐるみにも種類があって、
ソバの実を殻ごと挽いた「玄ソバの挽きぐるみ(黒い)」と
ソバの殻を取り除いて挽いた「丸ぬきの挽きぐるみ(白い)」があります。

ちなみに、更科粉は一番粉に近いのですが、
一番粉より高純度のデンプン粉のこと。

粗挽きは、ソバを粗く挽いたものなので、
粗挽きだからといって黒い蕎麦とか田舎蕎麦というわけではなく、
丸ぬきの挽きぐるみの粗挽き(白)もあります。

出雲蕎麦は、Wikiによると「ソバの実を皮ごと挽く」「蕎麦の色は黒」とあるので、
「玄ソバの挽きぐるみ」かな?

さて、これを、十割で打つか、二八で打つか。

『近世風俗志(1837)』によると、
「二八蕎麦は寛文4年(1664)に始まったと、ある書物に書かれていた」
と、書かれているので、その頃に始まったと仮定します。

不昧公が藩主となったのが1767年ですから、
十分に、江戸の外にもその製法は広まっていていたはず?

となると、
十割は、蕎麦の風味をよく感じて美味しいのですが、
「弁当にすること」や「喉越し」を考えると、
二八だったんじゃないかな?と思うのです。

いざ、実践!

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[出雲観光ガイドより izumo-kankou.gr.jp]
野外でそばを食べるために、四角い重箱にそばを入れて持ち運んでいました。
つゆは土瓶のような容器に入れ、食べる前に器の中のそばに直接かけて食していました。

[ご当地Japanより gotochijapan.com]
「玄そば」という、殻のついたそばの実をそのまま石臼で挽く挽きぐるみという製粉方法で作られ、そばの色は黒くコシが強く、香り高いのが特長です。

[Wikipediaより]
青ねぎ、海苔、大根おろしと削り節などの薬味を載せて頂く。
三段重ねの場合、まず一番上の割子にだし汁を入れて蕎麦を食し、食べ終わったら残っただし汁を二段目にかけて食す、というふうに、だし汁を使い回しながら上から順に食べてゆく。近年、薬味具材が豊富に盛り付けられた品や、近代の大阪食文化の影響を受けて卵(卵黄)などを載せたものなどがあるが、いずれも正統な割子そばとは言えない。

他、『蕎麦思考(新島繁著)』、『蕎麦の辞典(新島繁著)』など。
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このあたりの情報を元に、
食べたことのない「割子蕎麦」を伝聞再現していきます!

まずは、お蕎麦。
せっかくなので、島根県出雲市にある「さぬき製粉」さんから
「挽きぐるみ」と「丸ヌキ挽きぐるみ」をお取り寄せし、
そのうちの「挽きぐるみ(ソバ殻入りの黒いそば粉)」を、二八で打ちました。

参拝中に水を吸ってブヨブヨになった十割は、
きっとザラザラとモゴモゴとして食べづらいはずですから。


好きで打つ粗挽きの中では、
黒い殻は入っているものの、しっとりと目が細かそうなそば粉。
打ち始めからナッツのような甘い香りが立ち
「いいお粉」そうな雰囲気がぷんぷんと漂ってきます。

色味は、信濃一号みたいな褐色系。
製粉会社は、出荷前に挽いていると書いているので、
古くなったそば粉ではないと思う。
(そう思いたい。


お道具は、コチラ。
割子蕎麦用に、4.5寸のヒノキのお重箱
薬味用に、3寸のヒノキのお重箱
蕎麦汁用に、美濃焼の土瓶


蕎麦汁は、
利尻昆布とかつお節で出した出汁 200cc
濃口醤油(入正醤油) 50cc
みりん 50cc
酒 50cc

かつお節は、ヤマキの花かつおを使いましたが、
やっぱりこれだと、出汁が美味しくない…
本枯を使えばよかった!と、反省ですm

ちなみに、本朝食鑑の時代では、
味噌と酒、かつお節が主、
最後に塩、たまり醤油で味を整えたものだったようです。
塩っ辛くないの?って思いますが、
味噌の糀がきちんと効いているのか、美味しいです♡


薬味は、
青葱(万葱)、もみじおろし、かつお節、刻み海苔の4種類。

もみじおろしは、大根に唐辛子を挟み、おろします。

あれ、山葵は?
って思いますよね。
かつては、辛み大根しかも「絞り汁」で、
山葵はあれば、くらいだったようです。

そういえば、山口県のご当地蕎麦「瓦そば(1961)」も、
「もみじおろし」でしたね。
山陰では、もみじおろしがメジャーなんでしょうか?
この辺りも、徐々に探っていきたいですね。

『蕎麦の辞典(2011.新島繁著)』では、
上記4つの薬味に、生卵が付いてくると記載されていますが、
誰が書いたか分からないWikiによると、正統な食べ方ではないようです。

さて、「正統」とか言われると、常にナナメから見る性分のわたしは、
何をもって正統なのかを詳しく聞きたくなります(笑

文化は、情報の伝達によって日々交わり、変化していくものですし、
「より美味しく食べたい」
といった先人たちの飽くなき探求によって
食文化は発達してきたはずです。

「蕎麦は、ざるに盛った蕎麦を箸で持ち上げ、蕎麦汁を付けて食べるものだ!」

とかくわたしは、そう思って生きてはいますが(笑
茶蕎麦を焼いて頂く瓦そばのように、
皿に盛った蕎麦に汁をかける割子蕎麦のように、
多種多様な蕎麦文化を受け入れ、楽しんでこその
「蕎麦っ食い」じゃないか!と、思うところでやんす。

たいして蕎麦を知らないくせに
ナマイキなことを言ってのけたところで、

さて、頂きましょうか!

<まず、1段目>

まずは、お蕎麦そのものを味わいたいので、
薬味を乗せずにそのまま頂きます。

なかなか美味しい、挽きぐるみ!

玄ソバが好きなので、さまざまな製粉所から取り寄せては打っていますが、
歴代上位に食い込んでくる美味しさです♡

『蕎麦思考(1975)』で、著者の新島繁さんは、
地元の古いことに精通したおじいちゃんが
「箸を持ち上げないで掻っ込むのが本当の食べ方だ」
と、話してくれたと書いています。

丸い器であれば掻っ込むのも容易だろうな〜!と、思いつつも
さすがに、淑女が掻っ込むわけにはいかないので(淑女…?
箸を持ち上げて、ゾゾゾっとすすって頂きます。

<次に、2段目>

今度は薬味をのせて。
1段目で残った蕎麦汁を、2段目にかけます。
足りなそうなので、追い蕎麦汁。

ん〜〜〜!
美味しいッ!!

どのお薬味もいいのですが、
もみじおろしが特に、イイ!

<最後に、3段目>

2段目で残った蕎麦汁を、最後の3段目に。

最後のお蕎麦も、一気に啜り込みます。

<腹ごなしの、蕎麦湯>

食べおわった後は、
残った蕎麦汁を蕎麦湯へ入れ、飲み干す、
のだそうです♡

野外にお弁当として持っていくのに、
蕎麦湯はどこに入れてあったんでしょう…?
水筒??

さて、この蕎麦湯、
食後に飲むことで、腹具合がよくなるのだそうです。

『本朝食鑑(1697)』に、この蕎麦湯の記述がありますが、
著者の人見心大さんは、まだ試したことがないと言っており、
『蕎麦全書(1751)』を書いた日新舎友蕎子さんは、
信州諏訪へ行った際に初めて「蕎麦湯」を飲み、
江戸へ持ち帰り「信濃風」として皆をもてなしたそうです。

これが、後の「信濃湯(おしなゆ)」として広まるのでしょうか?

ちなみに、蕎麦屋の汁は、
お湯を入れても味が変わらず、同じ味で薄く延びていかなければ
「出汁が利いて」いないため落第ものなんだとか。

蕎麦湯を飲むのは、腹具合を治める以外に、
蕎麦屋の「腕」を見ることも含まれていたのかも?しれません。


さて、ひと通り

歴史を遡り、
出雲そばを調べ、
出雲のそば粉を取り寄せ、
蕎麦を打ち、
道具を整え、
薬味、蕎麦汁を仕込み、
インターネットで聞き及んだ「割子蕎麦」もどきを楽しんできました。

割子蕎麦、食べていてとても楽しいですね!

まず一番グっとくるのが、
「お弁当として持ち歩ける」こと。

時間が経ったお蕎麦なんて…と思っていましたが、
このぶっかけスタイルによって蕎麦が程よく解け、いい感じなのです。
自分の好みに合わせて、薬味の加減を変えられるのもいいですね!

いつの間にか東京では桜が散ってしまいましたが、
信州の桜はこれから。
きっとGWあたりには、お山がキラキラに輝くので
お重箱にお蕎麦を詰めて遊びに行こう♪

出雲そば、
ご馳走さまでした!

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